5月18・19日に一泊二日で第一回奥尻島調査に行ってまいりました。
19日には一日かけて町役場の方に島全体を案内していただきました。
まず、午前中に当時復興計画に関わった職員の方からお話をいただきました。そこでは、当時取った対策と、今回の東日本大震災についてお話しいただきました。
まず、被災した地区の今後の身の振り方として、集団移転をするか否かの議論が上がりました。当時は、住民の意向を把握し、合意を形成するために、役場の担当の方が、避難所や仮設住宅一軒一軒訪問し、住民の方とのコミュニケーションを図ったようです。その結果、岬地区ではほぼ全住民が集団移転に賛成したとのことでした。ただ、集団移転の場所を決める際、地主の方とそれ以外の住民の方との格差や既存コミュニティと移転先との関係などの議論があったそうです。
被災から5年の間は復興景気に沸いたようですが、その後、過疎化や観光産業の落ち込みが進行していきました。
5年後、奥尻島は復興宣言をしましたが、震災当時2歳だった子供が大人になるまでの、学費などにあてていた人材育成基金の終了や、青苗港の人工地盤(望海橋)の完成が去年であったことを踏まえると、最近まで復興は続いていたと言えます。
震災当時はバブル崩壊後でしたが、好景気の余韻で政府からの事業費や多額の義援金が集まったこと、また政治的背景から、閣議決定も迅速で、対策がトップダウン式に進んだため、仮設住宅での生活でも将来への見通しがある程度明確で復興への気運が失われなかったようです。
その点で、今回の東日本大震災と状況が異なるといえます。
午後からは島全体を案内していただきました。
いちばん被害の大きかった青苗地区を主に視察したのですが、そこでは、集団移転後、ミニ開発的な様相となった高台の集落や、当時避難所であった中学校を訪れました。昔のコミュニティの方々と疎遠になってしまったり、現在の子供たちは、津波の本当の恐ろしさを知らないといった危惧もあるため、学校での教育にも力を入れているようです。
湯浜地区では、仮設住宅跡地や、被災者用に建設された道営住宅を視察しました。
奥尻地区では土砂崩れにより、ホテルが被害を受け観光客が巻き込まれたことから、慰霊碑が建てられていました。
海岸沿いの道路には、ところどころに当時の津波の高さを示す看板が立てられています。
実際に奥尻島を訪れることで、公式資料に載らないような貴重なお話や、現場を目の当たりにするという、体験をさせていただきました。
今回は短い間でしたが密度の高い調査になりました。来週再度奥尻島を訪れ、より一層知識を深めようと思います。
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